宮川花子の漫才にかける想いとは!【今いくよ くるよ追悼公演】

「夫婦漫才」といえば宮川大助・花子さん。
昨年は【徹子の部屋】にも出演され2024年11月にはコンビ結成45年を迎えられました。
そんなおふたりが3月3日「今いくよ くるよ追悼公演」に参加され元気な姿をみせてくださいました。
病気になっても漫才!車いすでも漫才!そんな花子さんの漫才に掛ける想いを調べてみたいと思います。

今いくよ くるよ追悼公演

●今いくよ 2015年5月 ご逝去(享年67歳)

●今くるよ 2024年5月 ご逝去(享年76歳)

3月3日、大阪市のなんばグランド花月(NGK)にて
「きょうはどやさの日!~ひな祭りはいくよ・くるよと笑いよし!~」が行われました。

※昨年5月に逝去された今くるよさんと2015年に亡くなられた相方の今いくよさんは生前、
3月3日のひな祭りの日に女性漫才師を集め食事会を開催していました。

そこで、3月3日を「どやさの日」として、男女関係なく2人を支えた仲間がNGKに集い、
今いくよ くるよさんのエピソードを振り返りました。

 大助さん(75歳)、花子さん(70歳)も師匠を偲ぶため、参加されたのね

車いすでの漫才

最初、花子さんは車いすで漫才をすることに抵抗があったようです。それは、話されている次の言葉からも分かります。

「笑いというのは本当に繊細なんです。いつもとちょっと違うところがあるだけで、それが気になって笑えなくなる。私が車椅子で舞台に出てきた時点でお客さまは、そこばかり見てネタに集中できなくなるでしょう。すると、もう漫才は成立しないんです」
「芸人は同情されたって仕方ない。そうなったら笑いをとれない。もし漫才をやるんだったら、お客さまが気にならないくらい元気になってから。かたくなにそう思っていました。だからこそ、なんとしても歩けるようになりたかった。リハビリもがんばりました」


「車椅子でいる以上、漫才はできない」

そう思い込んでいた花子さんでしたが……
心肺停止寸前で救急搬送されたとき以降、気持ちは大きく変わっていかれたようです。

「車椅子に乗ったままでも漫才をしたい」

実際にやってみると
お客さまは、肩を揺らして笑い、大きな拍手を送ってくださったそうです。

芸人冥利に尽きる、といったところでしょうか。

 大きな拍手👏うれしかったでしょうねえ!!

 

花子さんはなぜ車いす生活になられたのか?

・2019年 血液のがんである「多発性骨髄腫」との診断がくだされる。

・「がん」が8か所に転移しているそうで完治しない病。

・半身不随となり余儀なく車椅子生活を送ることになりました。

花子さんの目標

大助さんと花子さんは現在、奈良の景色のいい山間に住んでいられます。

花子さんの寝室の窓から見える庭には大助さんが植えた花々が咲き誇っているそうで、目に映る景色にも気を配ってあげるだんなさんは得難いものです。

そんなふうに愛されて、女房冥利に尽きる花子さんの夢であり目標は

 ~2年後に迎える結婚50年~
 金婚式 2026年 4月9日ー 幸[4]せに暮[9]らす 

🌸🌸プロポーズの言葉「君は僕のひまわりだ、僕と一緒になってください」

🌸🌸お互いを好きで好きでたまらない新婚時代

🌸🌸漫才大賞をとったときの大助さんの横顔を見るのが好き

🌸🌸引き出しに入れた【離婚届】

🌸🌸いちばん大事なのは花子と子どもーそう気づかせてくれたのは今いくよ・くるよさん

🌸🌸「生きるのつらいな」ポツリとつぶやく花子さん

🌸🌸花子さんのオムツを歌を歌いながら替える大助さん

🌸🌸食事作りに庭の手入れに花の世話…働き者の大助さん

🌸🌸金婚式を迎えるのが結婚当初からの夢 

  私もお祝いしたいな♡

まとめのひとこと

夫婦も48年間一緒に居ると、お互いが空気のような存在になる。

日常の当たり前が、当たり前でなくなったとき、人はその何気ない日々が実は、かけがえのない日々だったことに気付くのだと思う。

『死んでしまえば最愛の人』という小説のタイトルはまさに言い得て妙である。
その現実に思い至ったとき、大助さんのように介護できる日々があるというのは幸せといえるかもしれない。

自分が大切に思う人のために生きられる、支えになれるというのは大きな生きがいになるはずだ。

大助・花子さんの何気ない毎日が笑顔とともにあること
そして、お茶の間の私たちにも笑いを届けてくれることを心より願っている。

読んでくださっている皆さまも、今、隣に居てくれる人を大切にしてください。

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