南海キャンディーズ 山ちゃんしずちゃんのこれから

お笑いコンビ『南海キャンディーズ』のボケ担当『しずちゃん』こと山崎静代(やまさき しずよ)さん。ツッコミ担当『山ちゃん』こと山里亮太(やまさと りょうた)さん。
芸人・俳優だけでなくボクシングでは五輪を目指す実力を持ち、プレバトでは芸術面でも才能を発揮し、マルチな活躍をしている『しずちゃん』と持ち前の話術と機転を生かし、司会やナレーター、ラジオのパーソナリティを務め声優としても活躍している『山ちゃん』に焦点を当て、コンビのこれからを探ってみたい。

                               
お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃん(右)と山里亮太さん
お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃん(右)と山里亮太さん
         ■■     目 次  ■■
1 しずちゃんの生い立ち ~両親から受け継いだもの~
2 スポーツに救われた中高時代
3 模索しながらも辿り着いた“お笑い”への道
4 山ちゃんが“芸人”になるまでの道のり
5 山ちゃんの“家族”
6 『南海キャンディーズ』のこれから
7 まとめ

1 しずちゃんの生い立ち  ~両親から受け継いだもの~

1979年2月4日、誕生時の体重が5000gという大きめの体で産まれた。大阪府茨木市出身。大阪市と京都市のだいたい中間に位置していて、公園が多くて自然豊かなところ。そんな大好きなふるさとで、両親と2歳上の姉、4歳下の弟、祖母の6人家族で育つ。

お父さんはとても厳しい人で、夕食の時は『おしゃべり禁止』。家族が6人もいるのに、シーンとして食卓を囲んでいたのを覚えています。まだ幼い頃に、父に何かで叱られて、お仕置きとして家の外に閉め出されたこともありました。夜だったから外は真っ暗。本当に怖かった。そんな父ですが、お酒に酔うと、アメリカのロック歌手、エルビス・プレスリーの曲を流しながら、パンツ一丁で踊るようなひょうきんな面もありました。二面性があるところは、父から受け継いでいるのかも(笑)。

一方、お母さんは中学校の保健体育の先生で、運動神経は抜群だけど、のほほんとした人でした。私がツッコミを入れるほどの天然ボケ(笑)。お気に入りの革ジャン姿が格好良く、厳しい父から子どもたちを守ってくれる存在でもありました。私の性格は、母とも似ていて、やっぱり両親の子どもだなと、つくづく思います。

芸能界に憧れたのは、保育園に通っていた頃。でも、当時、目指していたのは、お笑い芸人ではなかった。
「物心ついた頃からアイドルグループの『おニャン子クラブ』が大好きで、将来はアイドルになると決めてました。私は昔から口数は少なかったのですが、人前で歌ったり踊ったりするのは平気。小学校のお楽しみ会では、おニャン子クラブのメンバーだった工藤静香さんの曲『MUGO・ん・・・色っぽい』をクラスメートの前で熱唱して、アイドルになった気分を味わってました。

「アイドルになるっ!」と心に決めていた子どもの頃(本人提供)

 

 

 

 

                   

                「アイドルになるっ!」と心に決めていた子どものころ(本人提供)

2 スポーツに救われた中高時代

コンプレックスを抱えながらも、スポーツに打ち込んだ中高時代
体がどんどん大きくなっていったんです。今の身長は182cmですが、中学生になって170cmを超えました。生まれた時の体重が5000gもあって、もともと体格がいい方ではあったのですが、中学2年生頃からかな、『周りの子と明らかに違う。私、普通じゃないかも』と思い悩むようになりました。体の成長は止まらないし、自分ではどうしようもない…。心の中には、人前に出て注目を浴びたい気持ちと、誰にも自分の体を見られたくない気持ちの両方がありました

中学でも高校でも、男子から『岩石女』とか、『女じゃないだろ』とか、よくからかわれました。何も言い返すことができずに、ただただ傷ついてました。学校の廊下とかで笑ってる人がいると、『私のことを笑っているんじゃないか』と、悪い方向に考えてしまって…。自分の大きな体が、本当に嫌でした」
中学校では陸上。高校時代はサッカーに打ち込み、部活のおかげで色々と発散できてました。練習や試合に集中してる時は、悩みや嫌な気持ちを忘れることができるんです。私の中高生時代は、スポーツに救われました。

◎ 高校時代には、恋も経験した。好きな人を通して、絵や音楽にも興味を持つようになる。
「高校2年の時、同じクラスのある男の子に思いを寄せるようになりました。彼は美術部に所属していて、体育祭でクラスをPRする絵を任されるくらい絵が上手な人でした。彼の描いた絵が、大友克洋先生の『AKIRA』という漫画のタッチに似てたんですよね。それで、彼に近づきたい一心で、学校から自宅に帰ると、スケッチブックを開いて、『AKIRA』を参考にして絵を描いてました。絵を描いてる時って、無心になれるんです。絵を描くことで、心のモヤモヤしたものを吐き出すこともできますね。私にとって、スポーツと絵を描くことは少し似てるかもしれません。

あと、彼はバンドを組んでギターを  いてました。彼のバンドがコピーしてたのがきっかけで、ロックバンド『ザ・ブルーハーツ』が大好きになりました。よく聴いたのは『ダンス・ナンバー』という曲。『カッコ悪くたっていいよ そんな事問題じゃない 君の事笑う奴は トーフにぶつかって 死んじまえ』――という歌詞があるのですが、私の心を支えてくれました

3 模索しながらも辿り着いた “お笑い”への道

「どうしても会社に就職するイメージがわかなくて…。やっぱり夢を諦められず、アイドルグループ『モーニング娘。』のオーディションに応募しました。でも、書類選考で不合格(笑)。短大卒業後は、就職せずカラオケ店でアルバイトをしていましたが、『このままではダメだ』と悩んでました。今振り返っても本当につらい、暗黒の日々です。

ある時、ふと『女優もいいな』と思い、演技を学べる『劇団ひまわり』のスクールに通い始めたんです。設定を与えられて自由に演じるという授業が好きでした。泣かせる演技でもいいのですが、なぜか私は『見ている人を笑わせたい』と思って演技を考えてました。1人でコントを書き続けるうちに、『私は人を笑わせたいんだ』と気づきました。 滑舌(かつぜつ) が悪い、声が小さいとダメ出しされてスクールはやめましたが、お笑いという新たな方向が見つかりました。

「中学校で同じ陸上部だった前野里美さんに、『コントのネタを書いたから、一緒にやらへん?』と声をかけました。前野さんは吉本興業のタレント養成所に通っていたと聞いてたので、しばらく会ってなかったのですが、思い切って連絡してみました。すると、OKの返事! コンビ名は『西中サーキット』にしました。中学校の通称『西中』と、陸上部の練習メニューが由来です。2人でオーディションライブに出場してウケたことを機に、先輩のライブに呼ばれるようになりました。お笑いの世界では、私の大きな体は『個性』だと思えるようになり、コンプレックスも消えていきました。若手の登竜門といわれるお笑いコンクールで審査員特別賞を受賞し、東京で仕事をもらえるまでになったのですが、相方の前野さんに『やめたい』と言われて、解散しました。その後は色々あり、今の相方の山ちゃん(山里亮太さん)に誘ってもらって、新しくコンビを組みました」

2003年6月、山里さんとコンビを組んだ「南海キャンディーズ」は、結成の翌年(2004年)日本一の若手漫才師を決める「M‐1グランプリ」で準優勝を果たす

お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんと山里亮太さん
お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんと山里亮太さん

「ありがたいことに、全国的に名前が知られるようになり、お笑い以外の仕事も増えました。ある番組の企画で絵を描く機会があって、『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる漫画家の 荒木飛呂彦あらきひろひこ 先生に  めてもらったんです。それから本格的に絵を描き始めました。

俳優として出演したドラマの役づくりで、ボクシング指導者の梅津正彦さんと出会ったことをきっかけに、ボクシングにも夢中になりました。オリンピック出場の夢はかないませんでしたが、人生で初めて『燃え尽きるまで挑戦したい』と思いました。『お笑いじゃないの!?』というツッコミが聞こえてきそうですが(笑)。ずっと指導してくださった梅津さんは10年ほど前、がんで亡くなりました。梅津さんからいただいた言葉を残しておきたくて、『このおに』という絵本を作りました。梅津さんは厳しい『鬼コーチ』でしたが、大好きな方で感謝しかありません。

人に恵まれて、運も良くて、今の私があります。ただ、『アイドルになりたい』という気持ちや直感を大切にして一歩踏み出してみたら、意外な道が色々と開けました。やってみたいことがあるって素晴らしいことだなぁと思います。皆さんも、やってみたいことが見つかったら、まずは一歩、挑戦してみてほしいです」

(おわり。聞き手は読売中高生新聞編集室・矢子奈穂さん)
※※抜粋して記事を載せています。(Shizuku)  全文を読みたい方は下記へお願いします。

 https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20240801-OYT1I50225/

4 山ちゃんが“芸人” になるまでの道のり

1977年4月14日、 鹿児島県鹿児島市生まれ、 千葉県千葉市花見川区さつきが丘出身。
血液型 AB型で身長は 178cm。

高校時代に友人から「山ちゃん、時々面白いからお笑いに行ってみたら」と言われ、バスケ部での声出しや応援をオリジナルで作っていた。将来を明確に考えるきっかけが「お笑い」だった

高校3年生の時には女性から好かれたいという動機で芸人を志し、親に内緒で吉本総合芸能学院 (NSC) 大阪校に入るための理由付けで関西方面での進学を希望するが、両親に反対される。幾度の話し合いを経て、両親が関西の親戚に聞いて有名な大学として了承を得て受験する。しかし高校3年間はあまり勉強をしていなかったため、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学など大学を10校ぐらい受験をしたが手応えがなかった。結局、その年は受験した大学に全て不合格になり、その時、山里は「やっぱり浪人か」と考えた。受験代は兄の貯金30万円から捻出してくれたことを後に母親から聞き、悪いことをしたと思って気持ちを入れ替えた。芸人になることを父からは猛反対をされて、東京の大学から一般企業のサラリーマンという道を強く勧められている。パートで全額支えてでも、やりたいようにさせたいと言い張った母の支えを経て浪人生活に突入する。

1年の浪人生活をした山里は関西大学文学部教育学科に入学した。そして、男子寮である「北斗寮」に入寮して学生生活をスタートした。

●芸人として
関西大学3年からNSC大阪校に22期生として入学した。NSC在学中にM君と「侍パンチ」を結成したが卒業間際に解散。その後、西田富男と「足軽エンペラー」を結成。当時は、山里はボケ担当だった。その後、「足軽エンペラー」はTBS『ガチンコ!』の企画「漫才道」に出場し、優勝する。2003年3月に「足軽エンペラー」のコンビを解散後、山里はピン芸人「イタリア人」としての活動を経て、山崎静代と南海キャンディーズを結成する。コンビ結成後も「追い風三等兵」として『R-1ぐらんぷり』に出場している。

5 山ちゃんの“家族”

・父は元プロボクサーで、元ゼネコンの会社員
・子供の頃に漫画家を目指していたことがあり、自作の漫画のタイトルが「剣道刑事 こてめんどう」親に言われて剣道教室に通っていたが、ある日通うのが嫌になって剣道の道具一式を川へ流し、兄が拾いに行った。兄からは「行きたくないんだったらちゃんと言いな」と言われた過去を告白している。(3歳上の兄)
山里が出演したものは母が全て保存している。『たまむすび』(2016年)にゲスト出演した母によると、山里が小さい頃の歌声を録音したテープも全部取っており、録画したブルーレイは1000枚以上だという。
・山里が一時期学校で嘘をついていたが、母が褒めてくれ全部肯定してくれた。芸人になって以降は、仕事の取り組む姿勢について母から時々LINEでメッセージが送られてきて、ダメ出しや注意を受けている。
・2019年6月5日、約2カ月間の交際を経て女優の蒼井優と結婚(入籍は6月3日)した。同日に放送された『スッキリ』(日本テレビ系)では、本来は14時頃に結婚を発表し、同日夜に蒼井と共に記者会見を行う予定だったと「天の声」(=山里の声)を介して話した。その後、同日夜に都内ホテルにて会見を開き、蒼井と共に結婚したことを改めて報告。会見の司会は山里軍団のGAG宮戸洋行が務め、山里の相方であり蒼井と親友のしずちゃん(山崎静代)も出席した。
・親戚から連絡があり、親戚の子供が「おじちゃんが、他の女の子といるところを見てしまったから、優ちゃんに教えなきゃいけない」ととてもショックを受けていた。よく話を聞くとクイックルワイパーのCMで、指原莉乃と共演したのをテレビで見ていたからである。山里は「ピュアだね。CMを事実として受け取るんだと思って。癒される」と話している。

5 『南海キャンディーズ』のこれから

お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太が、1月1日深夜に放送された『水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論』(TBSラジオほか)を体調不良のため欠席した。

『水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論』
TBSラジオ制作・全国5局ネットで放送されているラジオ番組。お笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太がパーソナリティを務める。2010年4月8日放送開始。
放送時間は毎週木曜日 1:00 – 3:00(水曜深夜)

「山里さんのスケジュールは、年末から非常にタイトなものでした。大みそかの朝7時からは『大みそか列島縦断LIVE 景気満開テレビ2024』(フジテレビ系)で約3時間、生放送のMCを務めた後、夕方5時ごろからはこちらも生放送特番『まもなく紅白! 今年もすごいぞスペシャル2023』(NHK)の司会を約2時間、担当。

明けて2025年の元日は『新春!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)で、南海キャンディーズとして漫才を生披露しています。『不毛な議論』は、この日深夜の生放送ですから、十ニ分に体調管理に努めていたとしても細切れで休まざるを得ません。

そのうえ、12月27日までの平日は毎日、通常どおりに『DayDay.』(日本テレビ系)の生放送がありました。どれだけタフな山里さんでもしんどかったのでは」(制作会社スタッフ)


  ● 12月29日にはカラオケボックスでネタ合わせも。超多忙な年末年始を送り、家でホッとする間もないほどに体と心を酷使している。山ちゃんも、しずちゃんもそれぞれの家庭がある。働き盛りといえばそれまでだが、身体はひとつ。自分の身体は自分で守るしかない。

   妻であり女優であり芸能事務所の代表取締役である「蒼井 優」の存在

女優の夏川結衣が、芸能事務所「taft」へ所属することが報じられた。驚きなのは、この芸能事務所の代表取締役を、女優の蒼井優が務めている点だ。
夏川と蒼井は、山田洋次監督の映画『家族はつらいよ』シリーズで共演歴がある。

夏川は、8月に17年間所属した事務所「テアトル・ド・ポッシュ」の退所が報じられており、その後の動向に注目が集まっていた。蒼井にとって、夏川は「尊敬する先輩」であり、ともに仕事をしたいと考えたようだ。

「taftは蒼井さんの個人会社として、2021年に設立されました。デビュー時から所属している事務所『イトーカンパニー』のグループ会社の位置づけになっています。

現時点での所属タレントは蒼井さん本人のほか、夏川さん、女優の神野三鈴さんがいます。マネジメントなどはイトーカンパニーが引き続きおこなっているようです」(芸能事務所関係者)

ここへきて、所属タレントを増やし事務所の規模拡大を続ける蒼井の先には、「夫で、南海キャンディーズの“山ちゃん”こと山里亮太の独立も視野にあるのでは」と、前出の芸能事務所関係者が続ける。

「山里さんは、2023年4月より朝の情報帯番組である『DayDay.』(日本テレビ系)のMCを務めています。視聴率で苦戦している番組ですが、なんとか1年を乗り切りました。

朝や昼の帯番組は、出演者の負担が大きい分、高額のギャラが用意されています。『DayDay.』が始まる前に、長年『スッキリ』のMCを務めていた、極楽とんぼの加藤浩次さんは、完全に“いっちょ上がり”の立ち位置になっていました。

現在、山里さんは『DayDay.』にくわえ、深夜のラジオ番組『水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論』(TBSラジオほか)も続けていますし、そこから派生したトークライブで、全国を飛びまわっています。
テレビでひと財産を築いた後、自由に自分のやりたい仕事をしたいと山里さんが考えたときに、それを支えるような“場”を、蒼井さんは作ろうとしているのではないでしょうか」
誌は、深夜のラジオ番組終わりの山里を車で迎えに行く蒼井の姿を、何度か目撃している。日ごろから、裏で夫を支えてきたのだ。妻の“手綱さばき”で、夫の仕事はますます順調になるかもしれない。
https://smart-flash.jp/entame/324157/1/1/

●しずちゃんとも友人である蒼井優は『南海キャンディーズ』のことをおろそかにはしないだろう。ひとりのファンとしても『南海キャンディーズ』のお笑いを見続けていきたいので『爆笑問題』の太田光の妻、太田光代のように金銭面と精神面で夫を支えてほしいと思う。

5 ま と め

『笑い』は人に幸せにする。面白くなくても口角を上げることで脳が錯覚を起こし前向きな気持ちになるらしい。お笑いを見ていると、それだけで楽しい気持ちになれる。大好きな家族とおなかを抱えて笑う幸せの傍に『お笑い・漫才・笑点』がある。初めて『南海キャンディーズ』を見た時、とても面白かった。女の子なのに男の子よりも背が高く、話し方もおっとりしているのに毒舌で。テンポよく話す山ちゃんと、一度見たら忘れられないしずちゃんと。ふたりのお笑いをずっと見たいと思う。また、山ちゃんと蒼井優ちゃん、しずちゃんと佐藤建(とおる)さんの夫婦漫才も叶うことなら見てみたい。
物価上昇で心が下を向かないように、お笑いで世の中を、みんなの心を明るく照らしてほしい。

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