料理愛好家 平野レミが愛した人【徹子の部屋】

こんにちは Shizukuです。
作る料理もさることながら、人柄も個性的な平野レミさん。若かりし頃はシャンソン歌手でもあったそうで、だからこその声量、うなずけました。常にハイテンションで底抜けに明るいレミさんのこれまでを紐解いてみたいと思います。

〖目次〗
1 素敵な家族
2 子ども時代
3 和田 誠との交際
4 夫婦生活
5 料理愛好家として
6 まとめ

1【素敵な家族】
祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ、父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーター、エッセイスト、映画監督の和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男は和田率。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。従兄弟はトークライブハウス経営者の平野悠

2【子ども時代】
元々父親がユーモラスな人柄で自宅には外国人の来訪客も多かったことから、子供の頃から様々な話を聞くことを好み、自身も社交的な性格となった。
吃音を治すよう父から注意されたことはなく、どもりは可愛いと言われて育った。 また高2の冬には先生の言うことに納得がいかず、学校を飛び出し、その後、学校には行かず、毎日、電車に乗って時間をつぶす日々が続いた。勇気を出して父に「学校やめたくなっちゃった」と打ち明けると、何も理由を聞かずに「やめろ」と言ってくれたため、嬉しくてその話をする度に涙が出てしまう。父は学校をやめる代わりに好きなことを徹底的にやれと伝えたという。

自分の「あるがまま」を受け入れてもらえる安心感。これは子供にとって今を生きる力になる。否定せずに見守ってくれる両親がいるから、自己肯定感も生まれ、幸せ感が増していくのだと思う。良い環境で育てられたレミさんは生まれ持っての幸せ者かもしれない。


3【和田誠との交際】
シャンソン歌手だったある日、生放送のテレビ収録にもかかわらず歌い始めた途端、再び冒頭から歌い直そうとした。この様子をテレビで偶然観ていた和田は、「面白い歌手がいるな」と興味を持ち、ほどなくして異性として意識し始める。

和田は平野との食事の席を設けてもらい、和田の話す様々な会話の内容に強く興味を持った平野は、4日ほど続けて彼の自宅を訪問した。その後間もなく「結婚しましょう」と和田からプロポーズされ、平野も「しましょう」と承諾。和田のキラキラした良い言葉を使った話し方、物知りなのにひけらかさず、静かで人として安定感があることに惹かれたという。また本人曰く、和田は異性に対して誠実で、結婚するまで平野とキスはおろか手を繋ぐこともなかったという。

結婚の意志を両親に告げると、母親からは応援されたが、年末に和田が平野家を訪ねた際、父親から「結婚式は10月がいい」と告げられた。しかし母の助言によりすぐさま実家を離れ、ほどなくして結婚することができた。結婚直後、和田が住んでいた青山のアパートで生活を始めた。両親からは「嫌になったらすぐ帰ってこい」と言われていたが、2022年現在に至るまで和田との結婚を後悔したことは一度もない


4【夫婦生活】
和田について、「和田さんが機嫌が悪くなったり、私が叱られたことは一度もない。あんな(感情の起伏が)平らな人いない。仕事などで外出した日も、いつも笑顔で帰ってきた」と述懐している。ただし実際は、些細なことで和田の浮気を疑った際、一度だけ怒られたことがある。その後和田は、清水ミチコから「いつも楽しそうなイメージですけど、辛いこととかあるんですか?」と聞かれた際過去に一度だけレミが僕のことを疑ったことがある。あれは本当に悲しかったと答えた。

過去に台所の改装を行った際、自宅にあったワインを大工へのお土産として渡した。その晩帰宅した和田がワインを探していたため、大工へ渡したことを伝えると、高級ワインのロマネ・コンティだったことが判明。しかし和田は一切怒りを見せず、「大工さんは幸せでレミも幸せ。俺だけが不幸」と言っただけで済ませた。

(女性用以外の)パンツは子供だけが履くものと認識していたため、和田のパンツを購入する習慣がなかった。ある日自宅で息子の物ではない見知らぬパンツを見つけて以降、その後も日々目にするパンツをゴミ箱に捨て続けた。それらは和田のパンツであるが、レミの間違いを指摘せず、捨てられるたびに自ら新しいパンツを買い続けた。

和田の死後、「料理っていろんなことができて楽しい。だから来世も絶対女房やるの。それで和田さんとまた結婚するの」と語っている。和田は誤嚥性肺炎で亡くなり最後は何も飲めなかったことから、死後に「最高級のお茶を淹れてあげよう」と考えた。以来、湯呑に入れたお茶を自宅に飾った和田の写真の前に毎日供えている。

🌸子どもの中に愛した人が半分いるー子どもと手をつないだ時に強く感じた想い🌸
🌸自分の死後は、和田誠さんと遺骨をミックスー来世も共に🌸
2019年10月7日に亡くなられた 和田 誠さん。平野レミさんの良さを見出し、そのすべてを一筋に愛した人だったのだろう。こんなにも愛されたレミさんは女冥利に尽きるだろう。「来世も絶対女房やるの」この言葉にはおおいにうなずける。

5【料理愛好家として】
料理愛好家になったきっかけは、時折自宅を訪問するグルメの八木正生(作曲家)に料理をさっと作って出した所、「美味しい」と褒められたことから。当時、料理雑誌『四季の味』のリレーエッセイを執筆していた八木から「次を書いてほしい」と頼まれた。同エッセイにレシピをいくつも提供した所、これを見たテレビや雑誌の関係者からオファーが舞い込み、料理愛好家としてのデビューに至った。

『きょうの料理』の初出演時に扱った料理は、「牛肉とトマトの炒物」。この時、材料のトマトを手で握りつぶして調理したため、多くのクレームを受けることとなった。ちなみにトマトは、本人が初めて料理の楽しさを知った食材でもある。また、同番組放送内の「20分で晩ごはん」ではシャンソン歌手としての特技を生かし、20分以内に料理を作り終え、残余時間はオリジナルソングを歌ったことがある

手掛ける料理について、「この雑な感じで味は大丈夫なのだろうか?」と視聴者に感じさせることがままあるという。これに対し「みんな私のことクレイジーだと思ってるけど、ちゃんと簡単で美味しいもの作れるのよ」と語っている。

平野のレシピは、「考案した料理に後から名前を付ける」といった一般的なフォーマット以外に、「先に名前が浮かんでから料理内容を考案する」というものも数多く含まれている 。

2022年、ポプラ社刊行のエッセイ『おいしい子育て』が第9回料理レシピ本大賞 in Japanのエッセイ賞を受賞。同賞は義娘である和田明日香の書籍も料理部門・入賞を果たしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E3%83%AC%E3%83%9F

6●まとめ●
テレビで見る平野レミさんはいつも陽気で明るい。早口でまくしたてながらも手際よく料理を作っていく。しかもとても楽しそうだ。料理は楽しんでやるものだということを教えてくれている。身体は日々食べるもので作られている、自分の身体は自分で守るしかない、自分のことをまず一番に考えて日々を健康で楽しく生きなければならない、そう語ってくれた思いを受け止め、『食』をおろそかにせず一日3食しっかり作って食べていきたい。悲しみや淋しさを味わいながらも、笑顔で前を向くレミさんを応援していきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました